2012年3月吉日の手紙より

卒業おめでとう

 

「今のレベルでの卒業で満足していますか?」

私は、本音ではまったく満足していません。

 

ビデオを観れば、いろんなミスで敗戦を迎えたことが分ります。

サッカーにミスはつき物で、ミスしても良いジュニア年代だと思います。

仕事を持ち、ボランティアチームだし、週に2回のトレーニングでは

仕方ありませんが、もっともっともっといい指導ができて、もっと努力できたら

君たちはもっとうまくなったはずです。

 

「何故、技術に拘る指導になったかの自分の話をします。」

 

福岡県に生まれ、幼稚園で大阪へ転向、小1からサッカーを始めました。

小5で父の都合で福岡へ転向するまで、サッカーをしていて、今度は神戸の天然芝の

サッカー場で試合できるよというタイミングで福岡県へ転向。

福岡県では、まったくサッカーのサの字もなく、中学は野球部でした。

それでもサッカーがしたくて、1人でドリブル練習を小学校のグランドで

やっていました。

高校入学時、サッカー強豪高校に合格するも、自分に自信がなく、

市内の高校へ進学しました。

その当時、福岡県のサッカー人口は少なく、サッカーを少しだけやっていた自分は

1年生からレギュラーでした。

当時のサッカーは、「キック&ダッシュ=つまり前に蹴って走るサッカーでした」。

高校でサッカーを始める素人ばかりの集団、地区大会を勝ち抜いても、

たくさんの強豪高校がいて、高2で県でベスト8が精一杯の記録でした。

 

サッカーがしたくても、うまくない自分がどこまでやれるか不安で

公立高校を選んで、強豪高校へ行かなかった自分が歯がゆくて、

周りがうまくないことに腹を立て、喧嘩して、怪我をして、煙草吸って、

地区大会をそこそこ勝ち抜いて、満足して、喜んでいる自分がいました。

監督の推薦で、高校の先生達のチームにも所属、今年の東海第5高校の平総監督、

福岡商、東福岡高校の先生達と一緒にサッカーしましたが、リフティングできない、

フェイントできないなど、いろんなことができないので、大学でサッカーを

することを諦めました。大学時代もチャラチャラと過ごし、社会人になって

今に到っています。

 

何故、大阪から福岡へ転向したのか? 

何故、福岡はサッカーに力を注いでいないのか? 

何故、高校の先生はもっと技術を教えてくれなかったのか?

高校3年でまったく通用しない自分の力に嘆いて、それなら通用しないまでも

サッカー強豪高校へ行けば良かったと後悔していた自分がいました。

 

【これまでの想い】

2002年秋、息子が所属しようとしているチームはどんなチームなの? 

どんな事を教えてくれるのか?

日本サッカー協会はどんな教えをしてくれるのか? 

と思い、指導者のライセンスを取って、ボランティアチームのコーチをやらせて

もらうことになりました。

3年程トレセンコーチも経験し、千葉県でサッカーのうまい子を教えるお手伝いを

したこともありました。

その当時、長男は不器用なこともあり、技術をまったく教えてもらえなかった

(私も教えられなかった)こともあって、中学、高校とサッカーを継続するも

いつもベンチメンバーでした。

 

ジュニアの年代にもっとしっかりサッカーをやっていれば

ジュニアの年代にもっと努力していれば

ジュニアの年代にもっとサッカーを好きにさせてあげていれば

ジュニアの年代にもっと、将来でも役立つ技術を教えてあげていれば

違ったサッカーができたことと思います。

 

そして、君たちを教える年代になりました。

 

だから、小さい頃から厳しく技術を持てと言って来ました。

間違っているかも知れませんが、「パスサッカーはいつでもできます」

高校生になって、他の人との差は技術です。

私はそう思っています。

 

何度も言いましたが、大会の決勝戦、後半39分、スコアは0-0、

PA外でボールをもらい、DFと1対1のシーンで、貴方は何を選択しますか?

観客のみんなは、「そこでDFを抜いて、1点!」を望んでいるはずです。

そんなときに必要なのは技術です。

 

ボールが持てて、顔が上がるからこそ、瞬時の判断ができ、サッカーが

できると思っています。

だからずっと素走り(アップのランニング)もせず、ボールを自由に

扱えることができるようになればいいなと思って指導してきました。

悔しくて楽しい6-8年間でした。

 

実は、「うまいけど、勝てない」、「もっと結果が残せるのに」、

「1学年上はこのメンバーで良くやっている」

「1学年下は結果を出している」などなどいろいろ言われてきましたよ。

私も野洲高校のトレーニングを見たり、セゾンFCのセレクション観たり、

いろんなスクール、ナショナルトレセン見学したりと努力してきたつもりですが、

仕事があるので時間は限られていました。

全ては「言い訳です」。

 

でもね、

「パスはいつでもできる」「蹴るのはいつでも出来る」

「今、たった今、君たちに大事なものは何?」

それに拘ってきて、この日を迎えます。

不束者ですが、3年後、6年後、将来きっと役立つ技術を教えてきたつもりです。

1人1人に何度も何度も課題は言ってあります。

 

将来、「結果」を出す年代までに課題を克服し、長所をもっと伸ばしてください。

「ジュニア年代に必要なのは、結果ではなく、技術であることを!」

わかってもらってください。

 

こんなそんなあんな想いを持って君たちを教えてきました。

 

サッカーが好きな子、サッカーが好きではない子、いろんな境遇で

チームに入っていることと思います。

「将来、困らないように、今のうちに技術をつけておいてください」

「技術があれば、将来も継続してサッカーを続けることが出来ます」

 

【これから】

サッカーを継続する子、しない子、きっとたくさんの選択があると思います。

歳を取って、過去を振り返れば、「後悔」をします。

君たちもきっと「後悔」をすることでしょう。

 

「自分がどうなりたいのか?」

「自分がどうしたいのか?」    これを大事に過ごしてください。

 

「どうしようか悩んだら、辞めること」

「朝練どうしようかなあ~、寒いなあ」

「どうせベンチだから練習さぼろうかなあ~」

「ちょっとお腹痛いから、今日はやめよう」

悩むくらいの情熱しかないのだから辞めること

 

勉強もスポーツも「今の実力」を作ったのは、

いい指導者に恵まれなかったこととこれまでの貴方の努力の結果です。

生まれた時は五体満足、手足が10本あることに喜んだ両親は、

いつの間にか「何故~君よりできない」と比較し始めます。

誰しも普通の子供です。

小さい頃からコツコツと勉強、トレーニングを積んだ人にだけに、

結果はついてきます。

 

何度も言いますが、

「努力したからこそ、勝利に最高の笑顔で喜び、敗戦に悔しい涙を流すのです」

「悔しければ、人より1秒早く走れ!」

「悔しければ、対戦チームより1点多く取れ!」

そのために世界中のサッカー少年少女が努力しています。

 

小学校を卒業したら、サッカーの強豪校でレギュラーを取れるわけではありません。

全国のジュニアユースから選ばれたメンバーがベンチに入れ、ピッチに立てるのです。

君たちには無限の可能性があると思っています。

 

「小学生から競争社会?」

サッカーを教えるとわかりますが、「受験」も一緒です。

将来を見据えて、どの学年から、どんな技術を学び、どんな結果を出し、

上の年代から呼ばれるか?

そのために、どうすれば良いか? 大人であれば考えればわかります。

 

「通用しなくてもサッカーが好きだから、あがいてみる」

これこそ好きなことをやる路です。

失敗してもいいじゃないか!

他の人から2年遅れてもいいじゃないか、長い人生だもの、両親の許す限り

精一杯の主張をして、過ごしてください。

 

【中学の3年間】

恋をして、勉強して、友達との喧嘩、テストで悪い点などなど

たくさんの出来事があります。

精一杯、過ごしているからこそ、ドラマは生まれます。

決して、中学で帰宅部、やることなく、ピアス、茶髪、煙草吸って、

チャランポランに過ごさないでください。

ドラマはありません。

適当に過ごし、適当に人に合わせ、適当に生きていたら、

社会人になった時にあることを問われます。

 

What is your value? (あなたの価値は何ですか?)

そのときにどんなことでもいいので、「**」と答えられるように

何かしらの技術、証を身につけてください。

 

【高校での3年間】

小学校、中学校で努力しないつけが廻ってきます。

決して人のせいにはしないように。

あれほど、(サッカーでは1対1に強くなれ、勉強では復習しなさいなど)

言われてきたのに、やらなかったのは「あなた」です。

そんな高校生活をしたいですか?

中学生時代より更に、金髪、バイト、学校中退、、、。

好きな人ができても、そんなことでは、奥さん養っていけませんよ。

もう子供じゃないのだから、そろそろ自分の過ごしてきた路の結果が

見えてくると思います。

 

まだ、間に合います。

人より長い人生を過ごすことになるかも知れませんが、じっくり

「自分がどうなりたいのか?」

「自分がどうしたいのか?」    

もう1回考えてください。

15-18歳ですから、しっかり考えることができると思います。

 

ここまで、君たちと過ごしてきた親父の小言でした。

 

「好きなことを、苦じゃなく、努力できるような環境で過ごせますように、

君たちが努力して、夢を叶えられるように、心から祈っています。」

 

2012年3月25日

自分の子供同様に接してきた18人のメンバーへ贈る