1984年春のこと
高校卒業後、1年間の浪人生活を終え、
神奈川県の大学に通うために、福岡県の実家を出て、
布団袋と少しばかりの家財道具と共にこの地にやって来た。
鉄の外階段をカンカンカンと登り、6畳の和室、キッチン、風呂なし、
和式トイレの二階アパート、一階は大家さんだった。
当時の家賃は3万円。
アパートは、東急東横線の隣に建っていたので朝5時前から電車が通る。
一人暮らし最初の朝、「すわっ!地震か!」と起きたら、電車が通る音であった。
本日、たまたま仕事で東急東横線に乗ってみなとみらいに行く途中に
思わず懐かしくなって途中下車をしてしまった。
さすがにあの頃のアパートななく、マンションになっていた。
お世話になったOKストア、横浜銀行
現金書留を受け取っていた郵便局
鍋やフライパンを買ったストアがあの頃のままだった。
さすがに通った銭湯はなかったが。
あの頃、両親は47歳、生活はしんどかったと聞いているし、
私の出来は良くなかったので仕送りの追加などたくさんお願いしていた。
私の浪人、大学卒業のために総額1千万円の経費がかかっている。
あれから34年が経った。
この春次男は浪人生になり、三男は高校一年生になった。
昨年、今年、そしてこれからたくさんのお金がかかる。
両親に育ててもらったご恩を自分の息子達を育てるということで
返して生きたい。
そう想う2018年4月26日であった。
生んでくれて、育ててくれて、叱ってくれて、好きなようにさせて
くれてありがとう。
その苦労を味わいながら、子供達の成長のために、働きます。
(御礼!)