読書サマリー③-2 心のバレー(土屋幸一郎著)

・県優勝三大要素

 明るいこと、飯をよく食うこと、親が乗ること。

 これが県で優勝する3つの条件だ。

 

 先天的に暗い子は存在しない。暗さは後天的なもので、大人社会によって

 作られる。小学校入学以来口のきいたことのない登校拒否・場面沈黙症の子も

 生まれた時は明るかった。しかもバレーは遊びだ。

 ただ好きなバレーも負けてばかりいると楽しくない。

 では試合本番で楽しく遊びながら勝つにはどうしたらいい?

 それには徹底的に練習するしかない。

 中途半端な練習をして試合で遊ぶのは不可能。

 中途半端な練習から生まれるのは、勝敗への関心だけだ。

 だが楽しく遊ぶための練習は楽ではなく、その楽でない練習に耐えるためには

 明るい笑顔が必要になる。

 暗い、陰気な人間は、練習の苦しさでどんどん内にのめりこみ、つらい練習に

 耐えられなくなる。辛い苦しいは楽天的に忘れて、次を目指さないとやって

 いけないのだ。

 いやでも嘘でも、明るく、明るく、馬鹿になって明るくやっていれば

 そのうち明るくなり、道は開ける。

 泣いて暮らすのも一生、笑って暮らすのも一生。

 同じ一生なら楽しいほうがいい。

 ※「楽しいから笑顔で居るわけではない。笑顔でいるから楽しいのだ」

 
 私は明るい子が好きだ。明るくない子とバレーはやらない。

 お前たちはやがて社会人となり家庭人となる。

 世の中は楽しいことより嫌なことの方が多い。

 その嫌なことを嫌だと言ってしまえばもっと嫌になるが、明るい笑顔は

 いつしか嫌なことを忘れさせ、家の世界を楽しい世界に作り替える。

 そればかりでなく、同じように嫌なことで、不愉快な思いをしている人たちの

 心を明るくする。

 笑顔は自分を助けるだけでなく夫や子供助けて美しい家庭を作り、

 人を、社会を助ける。

 努力による作り笑顔が、本物の笑顔になった時、そこには人間としての自信も

 うまれてくる。

 

 健全なる精神は、健全なる肉体に宿る。

 食生活がいい加減で健全な肉体はありえない。

 色が細くて好き嫌いが多くて美食、これが現代っ子の多くだ。

 飽食も正しく食べて、楽しく運動し、正しく生活していれば肥満になる事は

 ないが、聞くとみんな異口同音に

 「何でも何でも食べます。好き嫌いはありません」と答える。

 では「これを食べてるか?」

 「いいえ」

 「これは食べてるか」

 「いいえ」

 結局、親は自分の嫌いなものや子供の嫌がるものは出さないので、

 親の出したものは何でも食べていると言うことであって、必要な栄養素は

 摂っていない。

 そこで指導者の仕事はここから始まる。

 この指導を怠れば夏には負ける。

 勝負は怪我と病気で決まるが、これは生徒の責任や偶然ではない。

 怪我や病気は、指導者の無知と手抜きが作るのだ。

 勝ちたかったら指導者は台所に入れ。

 食生活に関しては断固たる管理者になれ。

 食生活の適切な管理と筋力トレーニングによって、怪我と病気を排除し、

 始めて自分たちのバレーができる

 「親の協力がない」と言う。

 これは当然のことだ。

 なぜなら指導者がそれだけのことをやっていないからだ。

 「いや俺は子供たちのためにこれだけやっている」と言うが

 それが十分ではなく、どこかに問題があるから協力してくれないのだ。

 その問題点を、親の協力性の濃度で自己採点してみる位の冷静さが必要だ。

 自分の子が可愛くない親はいない。

 その可愛い子のために、赤の他人が一生懸命努力し、その努力の結果が

 子供の上に現れて、なおかつ理解し協力しない親はいない。

 ただせっかくの努力も、勝敗にとらわれた努力だと、親の理解を

 得られないこともある。

 バレーで勝つことより大切なことが、子供の人生にはあるからだ。

 親の協力を期待すれば負ける。

 親に協力を求めればそこから努力の水が漏れる。

 バレーには、親には関係ないのだ。

 親は子供を協力してもらおうと学校へやっているのであって、

 バレーを教えてもらうために学校へやっているのではない。

 指導者には、今があるだけで、権利はなく、ただひたすら協力せずには

 いられなくなるようなバレーを作るしかない。

 

 かわいい子供をもっと可愛くしてやる。

 県で優勝したって、それは練習しているのだから当たり前のことだ。