単身赴任二年目に想うこと  長男編U-20(2013.06.02)

27歳の時に長男が誕生
その後、3歳で大阪転勤、小学校に入る前に鎌倉転勤、10歳で千葉へ引っ越し
その度に苦労をした長男。
今年の4月に家を出て行った。
家出ではなく、就職でのことだ。
 
2002年、小学5年生の時にサッカーを始めた。
足が遅い、不器用、勝ちに拘るチームで出番は少ない。
 
何故クライフターンができない?
出来ないから教えてくれ!
こんなことで悩んでいた。
 
同じ頃、千葉県でジュニアサッカーの指導者になった。
引き出しのない私は苦労した。
あなたに何が出来ますか?
そう問われている気がした。
 
でも長男は高校卒業までサッカーを続けてくれた。
私は私なりにジュニアのために何が出来るかと模索して、夢を聞いて、
サッカーの試合には出たいし、点を取りたいし、勝ちたいしとの回答に、
幼稚園から個の技術に拘ることにした。
 
文字にしたら、わずか100文字しかないが、この100文字が
U-14世代を教えた基礎になった。
 
長男へ、20歳になる前に手紙を書いた。
貴方がいてくれたから、今の私がいるなど詳しい内容は伏せるが、
親なのに、子供にいろいろ教えてもらった子供への感謝の手紙である。
 
親は偉そうにしているが、子どもにたくさんのことを教えてもらう。
 
足が早い個はジュニア年代で輝ける。
でも技術がなければ高校年代で追いつかれて、苦労する。
どの指導者も分かっているはずなのに、目先の勝利を優先するように見えた。
だから私は目先の勝利には拘らないようにしたと書きたいが本音は嘘である。
圧倒的技術で勝つつもりでいた。
ただの勝ち負けではなく、技術で勝つ。
 
そんな指導者がいたから、U-14世代はとても厳しく教えられるはめになった。
具体例は避ける。
とてもとても理不尽なことを子供達に要求した。
しかし、「はい、はい、やればいいんでしょ!」みたいな顔をして、
笑顔で、皆が取り組んでくれた。
 
そんなこんなの子育てであった。
もっと〜できればと言うつもりはない。
未熟な大人であり、日々成長できればそれで良いと思うこの頃である。